”大人の学び”の魅力とは
"生涯学習"、"リカレント"、"リスキリング"など、大人に向けた学びが増えている一方で、それぞれどう違うのかなど、イメージしづらい部分も大きいかと思います。こういった"大人の学び"の意味や背景はどういったものなのか。また、大人が学ぶことの意義や魅力はどこにあるのでしょうか。明治大学リバティアカデミー長である井田正道教授が、教育学を専門とする齋藤孝教授と、労働経済学の研究者である原ひろみ教授と語り合いました。
また、この鼎談の続編、『大人をしあわせにする、"学び続ける力"と"学び続けられる社会"』 の記事では、働きながら学び続けるために何が必要なのか、学び続けた先には何があるのかといった「働くことと学ぶこと」をテーマに、議論を深めています。併せてご覧ください。
Profile
井田 正道
明治大学 政治経済学部 教授、明治大学リバティアカデミー長、社会連携副機構長。専門は、政治学、政治意識論、政治行動論。研究テーマは、政治意識研究、投票行動研究、選挙分析など。主な著書に、『政治・社会意識の現在~自民党一党優位の終焉と格差社会~』、『変革期における政権と世論』(ともに北樹出版)、『世論調査を読む~Q&Aからみる日本人の<意識>~』、『アメリカ分裂―数字から読みとく大統領選挙―』(ともに明治大学出版会)などがある。
齋藤 孝
明治大学 文学部 教授。専門は、教育学、身体論、コミュニケーション論。『身体感覚を取り戻す』(NHK出版)で新潮学芸賞、日本語ブームをつくった『声に出して読みたい日本語』(草思社)で毎日出版文化賞特別賞。そのほか『読書力』『コミュニケーション力』『新しい学力』(いずれも岩波新書)、『大人の語彙力ノート』(SBクリエイティブ)など、著書多数。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」の総合指導も務める。
原 ひろみ
明治大学 政治経済学部 教授。専門は、労働経済学、実証ミクロ経済学。労働者の職業能力開発、ジェンダー経済格差や教育の効果など人的資本に係るテーマを中心に、日本の労働市場や労働政策の効果に関する研究を行っている。Labour Economicsなど学術雑誌に論文多数。主な著書・共編著に、『職業能力開発の経済分析(第29回冲永賞受賞)』『非正規雇用のキャリア形成』(ともに勁草書房)など。
(肩書は2023年7月時点のものを掲載しています)
- 生涯学習により人間性を豊かにすることは、本来の学びの根本でもある。
- 新しい技術に対応するリスキリングにより、多くの人が職を失わずに済む。
- "大人の学び"に関しても、「知の殿堂」である大学が教育する意義は深い。
生涯学習により人間性を豊かにすることは、本来の学びの根本でもある。

井田:人生100年時代、女性活躍推進を受けて、大人の学び直し、リカレント、リスキリングを積極的に推奨する声が政府からも出てきています。しかし実際、その必要性がまだまだ認識されていないようにも感じますし、言葉の定義が混乱しているようにも見受けられます。そもそも、これらの言葉の大元ともなる生涯学習は、歴史的に振り返ってどう展開してきたのでしょうか。
齋藤:1980年頃から、人生全体の軸を学びで立てようという方針が打ち出されるようになり、大人を集めてクリエイティブな学習活動をしようとする運動が、公民館を中心に広まりました。生涯学習は、地方の公共団体が主催するものだけではなく、市民大学や個人がそれぞれに行う学習活動のすべてを含んだ広い概念だと捉えていいでしょう。
井田:自治体でも生涯学習の審議会を設置しているところが少なくありません。議事録の内容を見ると、確かに公民館や図書館の充実などがあります。それらは学びの環境を提供することが主のようにも見えるんですけれども、講師を呼んで話をしてもらう学校のような機能も、やはり同じぐらいの時期からでしょうか。
齋藤:そうですね。1980年前後から、カルチャーセンターがブームになっていきました。夕方や夜に開講されるだけでなく、昼間にも講座が組まれたため、教養を身につけたい主婦層の受講が増えていったという経緯があります。
井田:リバティアカデミーでも大きく分けて、教養・文化講座とビジネスプログラムがありますが、前者はその流れを汲んだものですね。
原:教養文化を学ぶ方たちの目的はどこにあるのでしょう。キャリアアップやスキル獲得とはまた違うように思うのですが…。
齋藤:市民大学の講師を長く務めていて感じたのは、純粋に学びを喜びとするということ。哲学や文学、歴史などの勉強を、大学に行けなかったけれど学んでみたかったという方や、もう一度学び直しをしたいという方などが多いです。定年を機に、会社員時代はできなかったことを学びたいと来られるなど、人生の原動力になるようなものとして求められている印象です。この生活に早く入りたいと思っていた方も結構おられたんですよ。
原:学ぶこと自体に喜びを感じられると。人として羨ましいですね。
齋藤:福沢諭吉は、目的のない勉強こそが本当の勉強だと言っています。自分がオランダ語を学んだのは、それで生計を立てようとしたわけではなく、ただ難しいものを読みたかったと。学びというのは、何かに役立つ、還元できるというところとは無縁なところに美しさがあるのではないでしょうか。
井田:逆に、そのような学びをされている方は、周りから「そんな役に立たないことをしてどうするんだ」と言われるのが悩みだということも耳にしますが、先生ならどうお答えになりますか。
齋藤:役に立つ、立たないという考えが、人間全体から言うと、非常に小さな考えだと思います。「人間性を豊かにすることが、本来の学びの根本である」ということが、もう少し共有されていい。森鷗外の史伝小説『渋江抽斎』に、抽斎の奥さんが高齢になってから英語を勉強し始め、地動説を学んだという話が出てきます。何かに使うのではなく、知的好奇心を持ち続ける女性がいたわけです。このような機会を広く提供するためにも、大学が学びたいと思っている人に対し、もっと開かれた空間であればいいなと思います。
井田:リバティアカデミーも、純粋に学びたいという多くの方が受講されてきたという歴史があります。本学は、幅広い学部構成のため、多様な興味に応えることができます。生涯学習をするうえで、これは恵まれた部分だと感じます。駿河台キャンパスは立地がよくアクセスしやすいのも、多くの人を受け入れるうえで利点なのではないでしょうか。
新しい技術に対応するリスキリングにより、多くの人が職を失わずに済む。

井田:一方、リカレントという言葉がよく使われるようになってきたのは、ここ十数年でしょうか。
齋藤:そうですね。文脈としては、企業に勤めつつ、レベルアップするために大学院に戻るような動きのことが、リカレント教育と呼ばれています。空いた時間で趣味として通うわけではないので、カルチャーセンターでの学びなどは入らないでしょう。
井田:もともとの意味は、仕事をしてから学びの期間をつくり、また仕事を繰り返していくことですが、日本ではなかなか難しいので、働きながら学ぶというのもリカレントとして広く捉えているきらいがありますね。
原:ビジネススクールに通うのもリカレントの一種ですよね。
齋藤:アメリカではMBA(経営学修士)を取ると年収アップが期待できるので、日本もこれを参考にして専門職大学院で資格を取ることで給与アップが望まれるというモデルをめざしたのでしょう。
井田:しかしながら、日本では25歳以上で大学に在籍する人の割合が、OECD諸国の中で非常に低いと言われています。欧米諸国のほうが多いのはなぜなのでしょうか。

出典元 文部科学省 / Education at a Glance:OECD 2016年度 科学技術白書
原:ヨーロッパなどでは、職場から学校に戻り再び職場に戻るというトランポリン型のキャリア形成が日本より一般的なので、その違いはあるかと思います。日本は他国に比べ、人材育成にかける費用がGDPに対して少ない一方で、日本企業は人材育成に積極的だとも言われています。新卒一括採用で白紙の状態から育て上げていくカルチャーが強いため、あえて外の機関で学ぶ必要性を感じにくかったのかもしれません。逆に欧米では、ポストに空きが出たら人を採用するという傾向があるので、育て上げるという意識が薄いのかもしれません。
井田:育て上げるとなると、長い間その企業にいることがベースにあると思うのですが、今の若い人たちを見ていますと、会社を移ることへの抵抗感が下がっているように見受けられます。
原:統計データを見ると、転職率や離職率は必ずしも上がってはいないのですが、働き盛りの男性の平均勤続年数は落ちています。また、現在は長く勤めれば勤めるほど優遇される退職金税制ですが、政府が見直しの検討を発表するなど、労働市場の流動化を促そうとしています。

出典元 労働政策研究・研修機構『ユースフル労働統計2022』
資料 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」
井田:この流れに拍車がかかれば、学び直しの位置づけも変わっていきそうですね。さらにここ数年は、リスキリングという言葉も出てきていますが、どう理解するのがよろしいでしょうか。
原:仕事に必要なスキルが変わってきているということだと思います。デジタル化が進むと仕事が大きく変化して職を失う恐れのある人が出てくるかもしれませんが、組織的にリスキリングに取り組めば多くの人が新しいキャリアに就けるという試算が世界経済フォーラムから出され、その必要性が提唱されたことで注目を集めました。
齋藤:リスキリングは、DX化が加速してきたなかで言われるようになったこともあり、プログラミングなどの難しい技術を身につけることを指しがちですが、それだけでなく、もともと持っていない技術を新たに身につけることも含めて、「リ」スキリングと言っている気もします。
井田:以前のスキルが役に立たなくなってきているから、「リ」になっているのでしょうか。
齋藤:なるほど、そういうことなのかもしれません。
原:自分が持っていない仕事に必要なスキルを新しく身につけるというのは、昔から当たり前にされてきたことなので、昔からあるものを、表現を変えてキャッチーにすることで関心を高めるという狙いもあったと感じます。すでに持っているスキルをさらに伸ばすスキルアップ、アップスキリングとはまた違う概念として捉えている人もいるようですが、そこまで厳密に分ける必要はないのかなと。従来の職場内外での職業能力開発と大きく変わらないと個人的には考えています。
“大人の学び”に関しても、「知の殿堂」である大学が教育する意義は深い。

井田:平均寿命が長くなり、高齢者が年々増えてきているなかで、学び直しに関して、どう変わってきたとお感じですか。
齋藤:最近の傾向として、定年後も資格を生かして仕事をしていきたいという人が女性を中心に増えていると思います。大学院における30~40代以降の方の割合は、諸外国に比べて日本はとても低かったのですが、近年は公認心理師、臨床心理士、社会福祉士などの資格を取りたい人の率が高まり、オンライン化でさらに加速した感があります。
井田:学び直しは、資格取得のための選択肢としての側面もありますよね。資格以外の面でも、例えば大学院に限らずリバティアカデミーでも大学教員が教鞭を執っていますが、彼らから学ぶことのメリットは何だと思われますか。
原:教育者でありつつ研究者でもある大学教員は、体系だった知識を提供できることが強みだと思います。例えば、経済で今起きている事象や社会的課題を考えるとき、歴史的な視点を持ちつつ、理論に基づいたデータ分析から実証的に示すことができる。かつ、ミクロ的な視点やマクロ的な視点、国際比較や政策との関連など複数の切り口から迫ることができます。リバティアカデミーの講座を受講し、そこからさらに専門性の高い大学での学びに関心をもってもらえたらと思います。
井田:リバティアカデミーの講座と大学の専門教育の溝を埋めるため、今年度からその橋渡しになるような「プレMBAプログラム」という2カ月の簡略化したプログラムを組みました。選択肢が広がることを期待しています。
齋藤:大学で学び直すというのは、ほかの機関などと比較して、社会的信用があるという点も大きいですよね。なかには高額の教材を買わされるという事例もありますが、大学では絶対にあり得ません。レベルの高さとともに公共性が非常に高いところも、大学ならではです。また、ネットには学術情報を発信する良質なYouTubeチャンネル等もありますが、発信者が何かあったときにしっかりと責任を取るようなポジションにいない場合、情報に嘘があっても仕方がないわけです。でもリバティアカデミーが提供する情報に嘘があるなら問題になりますよね。そういう責任の大きさも、ほかとは一線を画すのかなと。やはり「知の殿堂」としての大学が行う教育の意義は、とても深いと考えています。
井田:おっしゃる通りです。より幅広い学び直しの場としても、研究へのかけ橋としても、生涯教育機関であるリバティアカデミーが役割を果たせればと思います。
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